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2015年10月11日

10月10日の雨、


  きのう、10月10日、

  朝から夕刻まで、日中は雨が降っていました。


   83歳、母の談

 「 きのうの雨は、涙雨。

   あんなにひどい空襲があった日に

   おまつりができるねぇと、いつも思っているよ。 」


 1944年 10月10日 

  アメリカ軍の空襲で那覇の街の90%が焼失した日


  今は那覇大綱挽きまつりになっていますが、

  うちのおっかさんは、追悼の気持ちにしかなれないらしい。



Posted by あして・びっち at 13:41│Comments(4)
この記事へのコメント
10/10 昼間はすっかり忘れてました。
那覇大空襲の日でしたね。
お母さんの気持ちは、戦争を経験してない人には、理解できないのかもしれません。
新聞紙上では、詳しい被害状はわかってないと書いてました。
沖縄での戦争の始まり。
早く戦争が終われば、沖縄は今とずいぶん違う島になったかもしれない。
お母さんは、先島へいらしたのかしら。

沖縄も秋の気配が近づいてきてるみたいですね。
雨。涙雨ってお母さんが言われた。
70年経っても記憶が消えない出来事。
Posted by おきなべおきなべ at 2015年10月11日 18:18
祭りには本来、死者への鎮魂があるものでした。
エイサーも本来そういう趣旨だったはずです。
しかし、慰霊追悼も観光の道具にされているのでしょうね。

以前、那覇のある居酒屋で6.23に、カウンターで一人寡黙に飲んでいました。
今の知事も時々来られるという店です。
そこで、「今日も潜ってきた」という内地のお姉さんがいて、
文句は言いませんでしたが、心の中で「日をわきまえろ」と毒つきました。

慰霊鎮魂は、政治の道具でもないし、観光に利用されるべきものでもない。
Posted by 根岸冬生 at 2015年10月12日 09:18
おきなべさん

そのころ、おっかさんは台湾に住んでいて、
米軍機の編隊を見たと言っています。

台湾では沖縄本島、その周辺で起きたような地上戦はなかったそうですが
避難していた防空壕の近くに爆弾が落ちて、一時、生き埋め状態になり、
近所の人に助け出されたと聞いています。
どこにいても戦争になったら大変な目に遭う、だから戦争、戦争につながることは何としても反対すると常から言っていますよ。
Posted by あして・びっちあして・びっち at 2015年10月13日 23:16
根岸冬生さん

コメントありがとうございます。

戦後復興で那覇大綱挽きが再開されたと聞いていますが
10月10日は、はずしてもいいかなという気がします。

日をわきまえる。 
そういう気持ち、私は大事だと思います。
Posted by あして・びっちあして・びっち at 2015年10月13日 23:25
 
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